せっかく蘇州にいるので、蘇州城と城門に注目しました。
蘇州に来てからときどき城門を見かけましたが、城門が幾つあるのか、どういうエリアを城壁が囲んでいたのか全くわかっておりませんでした。なので今回コロナでどこにも行けないので、蘇州をグルグル回って見てみました。路線バス旅行の状態でしたが、地下鉄と違って普段行かない場所も見れましたので、それも楽しめたかと思います。機材はいつものRicohGXR。
蘇州は第一回目の国家歴史文化名城の一つとして選出された都市とのことです。なおここで言う「城」とは都市の意味で、国家歴史文化名城の制度は、都市全体が歴史的価値の高い文化遺産として評価出来、現在でも継続して保たれている都市を保護する制度とのことです。選考基準は7項目(①古都型②伝統風貌型③風景名勝型④地方民族特色型⑤近現代史跡型⑥特殊産業型⑦一般史跡型)で、蘇州は③風景名勝型で選出されたとのこと。
蘇州城は春秋戦国時代、呉国の国王闔閭が紀元前514年に、側近の伍子胥の進言で闔閭城を築かせ国の都とし、南北4.5キロ×東西3.5キロの蘇州城となった模様。また蘇州城は紀元前473年に一時期越国の都にもなったとのことです。
そして蘇州の地名は、隋王朝の紀元589年に西南にある姑蘇山にちなみ、呉州から蘇州に変名されたとのことで、当時の隋王朝は蘇州に大運河を築き、蘇州は沿岸の四大都会(楚州、揚州、蘇州、杭州)の一つとなったそうです。
次に蘇州城の城門についてですが、蘇州城当初の春秋時代には、閶門、胥門、盘門、蛇門、娄門、相門、斉門、平門の8城門の外に、呉子城(蘇州子城)に3城門があり、合計11城門あったとのことです。
なおこれら城門の内、現存するものは盘門のみで、他は復元されたものの様です。そしてこれらの門で現在観光地として特に整備されているのが盘門、娄門、相門の3つです。それぞれそんなに遠くではないので、路線バスで回ってみるのも楽しいと思います。以下に私が回った各城門を紹介します。蘇州城と城門については今後も時間を作って、引き続き調べてみたいと思います。
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この図の運河の内側が蘇州城と言うことと思います。また城門の位置が示されています。
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相門1Fの城壁博物館に展示の平江図です。本物は蘇州市碑刻博物館にあるそうです。宋代1229年に作成されたもので、当時の蘇州城を詳細に表現しており、現状の蘇州市が当時の状況をそのまま保存していることが確認できる貴重な資料とのことです。
盘門 パンメン
盘門です。
地下鉄4号線の南門で下車して徒歩12分程度。
このエリアは、城門で唯一現存する盤門を中心に、瑞光塔や呉門橋などがある蘇州城の西南角に位置する観光エリアです。この3つを盤門三景と呼ぶ模様。また盤門は2014年に「大運河」の一部として世界文化遺産に登録されたとのことで、現存する城壁は元王朝の1351年に築かれたものを基礎に明清代に修復したもので、検問所と水位調整の役割を兼ねていたとのこと。
瑞光塔は247年に孫権によって創建された普済禅寺(後に瑞光寺と改称)の敷地に建てられた13層の塔を、12世紀前期に八角7層の塔として再建したものとのことで、寺院は既に無く仏塔が残るのみです。高さは約54m。
盤門景区の南に位置する呉門橋は、北宋の1084年に建てられ、清代に花崗岩で改築されたアーチ型の橋。全長約66m、最も高い所で川面から11m。
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盘門。唯一現存とのことで、最も整備されています。
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盘門より瑞光塔が見える。
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呉門橋です。盘門からの眺め。
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広い庭園エリアがあります。
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相門の1F部分の城壁博物館内にある盘門の言い伝え。
相門 シャンメン
相門です。
地下鉄1号線の相門駅で下車してすぐ。平江路の近くです。
相門は建築当時のもは現存せず、現在の相門は再建されたもので、南京の老虎橋監獄、上海の堤籃橋監獄とあわせ、中華民国三大監獄といわれた獅子口刑務所跡に再建されたそうです。なお獅子口刑務所は特に政治犯などの重罪人が収監されていたそうです。
相門の名称は、呉王闔閭が刀工「干将」にこの地で剣を造らせ、刀工が住むようになり、その刀工達を将門、匠門、相門等と呼んでいたためこの門を相門と呼ぶようになったとのことです。
現在の相門の1F部分には城壁博物館があり、蘇州城の各城門の言い伝えなどが展示されています。平江路のついでに是非寄ってみると良いと思います。
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周囲には飲食店もあり、ちょっと雰囲気あります。
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1F部分の城壁博物館内に展示してある相門に関する言い伝え。
娄門 ロウメン
娄門です。
地下鉄1号線の相門駅で下車して徒歩30分くらい。ここも平江路のついでに行ける場所です。
娄門は蘇州城の東北部に位置しています。
現在のものは2013年に復元されたもので、当初のものは現存していません。1948年(民国37年)外城、中城、内城上の楼閣が排除されて城門だけとなり、1958年には城門も排除されたとのことです。
名前の由来は漢の時代にこの辺が娄県と呼ばれ、漢王が娄門と改名したとのこと。もとは疁門と呼ばれていたそうです。
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整備状況が良い門です。
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楼閣には喫茶店がありました。
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相門1Fの城壁博物館内展示の娄門の言い伝えの掲示物です。
平門 ピンメン
平門です。蘇州城の正北門です。
地下鉄2号線、4号線の蘇州駅で下車して、北広場汽車客運駅で529のバスに乗り平門西駅で下車してすぐ。蘇州駅から歩いても行けますが、橋を渡る必要があるので歩くと30分くらいはかかると思います。
平門は1958年にもとの城門と城壁は撤去され、2012年に再現されたものだそうです。
名称は呉国の国王闔閭の側近の伍子胥が、大軍を率いて斉国を平定するために、この城門から出発したことから平門と名付けられたそうです。また伍子胥は斉国を平定後、この城門から凱旋したとのこと。
現在の平門は蘇州駅正面に北外城河を挟んで建っており、新幹線の待合ロビーからも見ることができます。
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蘇州駅側から見る平門。
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楼閣から蘇州駅が見えます。
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北外城河を挟んで、平門と蘇州駅が建っています。
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相門1Fの城壁博物館内掲示の平門の言い伝えです。
胥門 シューメン
胥門です。
地下鉄1号線の養育巷駅で下車して徒歩15分。
胥門は蘇州城の西側に位置しています。元々は水陸城門であったそうですが戦国時代に水の城門が閉鎖され、陸の城門になったとのこと。現存の胥門は元代の1351年に再建されたもので、明代、清代で修繕され、民国27年1938年には城楼が撤去されたとのことです。
名称は姑胥山(姑蘇山)にちなんで付けられたとのこと。
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![RICOH LENS A16 24~85mm F3.5~F5.5](https://nai-cha.blog/wp-content/uploads/2022/12/20BC1564-54B7-4565-9754-8F08369D39B7-1024x768.jpeg)
相門1Fの城壁博物館内に展示の胥門の伝説です。
閶門 チャンメン
閶門です。
地下鉄2号線の石路駅で下車して徒歩10分、または山塘街駅で下車して山塘街を徒歩で突き抜けてすぐです。山塘街を観光してから、この門に向かうのが良いと思います。
閶門も春秋時代に建設されたの蘇州城の八門の一つで、呉国の国王闔閭が楚国遠征のため大軍を率いてこの門から出城し、打倒楚国の強い決心から当時、破楚門と改名された模様。後の戦国時代に呉国一帯は楚国に属し、この門の名は再び閶門に戻ったとのこと。現存の門は元代に再建されたものとのことで、水城門と陸城門とで構成されている。閶門がある一帯は、明代から清代に商業地として隆盛を極めていたとのこと。
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この門は他の門と違い公園の中にあるのではなく、公道上に存在します。
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水城門部分。
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相門1Fの城壁博物館内に展示の閶門の伝説です。
蛇門 シャーメン
蛇門です。
地下鉄5号線の竹輝橋駅を降りて徒歩15分くらい。桂花公園内にあります。
春秋時代にあった8つの門の一つですが、これも再建されたもの。また桂花公園内のこの門は地味な印象です。いろいろ調べてみるともともとの蛇門の位置は定かでない模様で幾つか説があるようです。有力な説は蘇州城の真南にあたる所が蛇門であり蘇州城の南大門にあたるというもののようです。しかしその場合でも南門としても使用頻度は盤門が勝り、宋時代には閉じられたとの内容でした。本当はどこにあったのか?ミステリーがあるのも面白いです。いつかもう少し詳しいことがわかるかもしれません。
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あまり観光用には整備されてない状況です。
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相門1Fの城壁博物館内に展示の蛇門の伝説です。
金門 ジンメン
金門です。
1931年1月1日に竣工したローマ式城門とのことで、3つの門があり、真ん中の大門が車道で、両側の2つは人用です。金門の2文字には富が集中するという意味もあるようです。1921年に閶門と胥門の間の新胥門が小さくて実用的ではなかったため、新南橋と共に作られたとのことです。かなり新しい小型の門です。
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確かにローマにありそうなタイプです。
以上駆け足で城門を回りました。司馬遼太郎の蘇州訪問記「街道をゆく:中国江南のみち」という本に「蘇州旧城の外郭を1周したい」との記載があるそうで、是非読んでみたいです。
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